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jiisa’s blog

越後長岡でのチャレンジ・地方創生を実践する。

長岡ニュータウン‼️

地方創生

 第4次全国総合開発計画いわゆる四全総が発表され、田中角栄日本列島改造論‼️ 東京一局集中から多局分散型国土形成へ。

 国土庁筑波研究学園都市を打ち出し、同時に関西学術研究都市として奈良県京都府にまたがる平城・相楽ニュータウン住宅・都市整備公団:現UR都市機構)の開発が進む頃、地域振興整備公団(現:UR都市機構)の第1号地方都市整備事業として昭和51年に長岡ニュータウン開発整備事業はスタートしました。ちょうど40年前です。

 当時、人口17万人の長岡市に4万人都市構想!として着手。

 フィンランドヘルシンキ郊外にあるタピオラ田園都市ニュータウンを参考に、産学住を備えた緑豊かな地方都市の模範となるニュータウンをイメージしていました。

 昭和57年の第一次分譲は、折しも大雪の年。国道8号から立体交差(掘り込み)のニュータウンへの入口は、丘陵地に造成された住宅地への登坂が、想像を超えた不評を招き、分譲は・・・低迷を余儀なくされました。

 その後、4万人構想は大きな変化を迎えます。

 東住区は、スペースネオとピア構想(宇宙関連のテーマパーク構想)として、第三セクターへの売却され、その後頓挫し、一部、新潟県長岡市土地開発公社の所有地となり、新潟県立歴史民俗博物館、新潟県立動物愛護センターが立地、さらに(株)ヨネックス工場が進出し、太陽光発電設備会社が立地、現在、新たにガス発電施設会社が工事を進めています。

 南住区は、国営越後丘陵公園となり、西住区の一部は、長岡市スポーツ公園として整備が進んでいます。

 結果、4万人構想は1万人構想へと事業計画を変更。

 開発構想の当初、長岡駅からニュータウンをループし、大河信濃川を渡るニュータウンブリッジ構想とともにモノレール構想も!悲願であったニュータウンブリッジは高規格道路として完成し現在フェニックス大橋として供用が開始されています。

 40年の年月は、決して短くは無く、この壮大な地方都市整備・ニュータウン計画の評価は、長岡市民、そしてニュータウンに居住する住民と長岡市都市計画行政が判断するものと思います。

 

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ニュータウン西線を走る越後交通・路線バス

 

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ニュータウン西地区の商業地区に立地した商業施設の撤退と解体

 

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悲願のニュータウンブリッジ(フェニックス大橋)からの夕景

 

地方創生について

地方創生

 10数年前、「中心市街地活性化」という大命題の中、「まちづくり」というかなり広義な言葉を使いつつ同じ志をもつ仲間とともにタウンマネージメント企画運営会議を立ちあげました。

 そのコンセプトの一つに行政と市民の間に立つ中間組織というものがあったが、行政の中には、その必要性はまだ認識されておらず、また、市民サイドにおいても行政への依存体質が色濃く存在し、わたしたちの活動は双方からその存在意義を認められるものでは無かったように感じます。

 平成4年(1992年)、今から24年前に新潟県長岡市に居を移し、今に至っています。

 約四半世紀が過ぎようとする中、時の流れを今一度整理しようと思います。街は大きく変化をしました。そして行政と市民の関係も!

 今、地方創生という言葉が時代のキーワードとしてもてはやされ、様々な取り組みが成されています。20数年の活動と、その流れを客観的に捉え、今成すべき事を、私なりに検証しつつ、明日に繋がる何かを見いだせればと願うものです。

 

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